夜、救急車に乗る
大学3年生の秋、忘れもしない11月16日のこと。

私はバイトが終わり夜9時過ぎに自転車を走らせていた。
走りなれた家までの道には長い坂道があり、
ちょっとしたコツが必要な場所があった。
下り坂でブレーキをかけずに一気に下り、
すぐに立ちはだかる上り坂に備える。
その上り坂を登りきるためにはそれでも少し運動エネルギーが足りない。
上り坂の最後の最後は立ちこぎを2〜3回すれば
なんとか登りきれる難所。

その日も難所を切り抜けるために下り坂を一気に下る途中、
小石にでも当たったのだろうか、
前輪のタイヤが浮いた。
その弾みで自転車の荷かごの中の折りたたみ傘が落ちた。
拾わなければと思い急ブレーキをかけた。
ところがそこはさっきまで降っていた雨で濡れたマンホールの上だった。

ハンドルは左右に振れ、バランスを失った私は
左へ自転車ごとザザーっと倒れた。
頭を打ち、意識を失った。
気付くと私はたくさんの人に囲まれていた。
その中心で私は年配の女性が抱きかかえられ
「いま救急車呼んだから大丈夫よ。」
とその方が優しく声をかけて下さった。

でも救急車?ええー!そんな、大変!
「私、大丈夫です。」

後で気付いたことだが、額の中央から相当血を流していたらしく、
血まみれの顔で大丈夫の言葉は説得力がなかったのだろう。
その女性には私が狂乱しているように見えたのか、
「大丈夫よ。」
と静かに言って、私をぎゅっと抱きしめた。

頭を打つと一時的に記憶を失うことがある。
私もなぜ自分がこのような状況なのか理解できなかった。
まず左手から流れる血に気付き、
向こうには荷かごが変形した愛車の黄色のママチャリがある。
ああそうか、自転車で転んだのか。

救急車が着くと、
名前、年齢、痛いところはどこか救急隊員に聞かれた。
本当は頭を打ったせいか、吐き気がしていたが、
助けていただいた方々の手前大丈夫さをアピールするために
がんばってハキハキと答えた。

救急隊員の方はひと通り聞き終わると
搬送先を探すためなのか救急車の中から無線連絡をした。
「えー、21歳女性自転車転倒による擦過傷」
無線特有の割れた音が夜の人だかりの中に響いた。
ああ、まるでうちの父が大好きなテレビ番組、大都会救急24時みたいだ。

無線のあとやっと私の搬送先が決まり、
助けてくださった女性と別れ救急車に乗り込めたのに、
私の大丈夫アピールはなぜかまだまだつづく。
今度は救急隊員の方に何か話さなければ気を遣い始めた。
自己紹介のつもりだったのだろうか。
「私、初めて救急車に乗るんです。」
必死になって話し掛けた。

救急隊員の方も私がよほどかわいそうに見えたのか
まともに話し相手になってくれた。
「じゃあ、初めてのついでに教えてあげる。
 この救急車ベンツなんだよ。」
気持ちが悪かったはずの私は急に元気になった。
「私、ベンツに乗るの初めてなんです。
 1つだけ教えてください。左ハンドルですか?右ハンドルですか?」
今、救急車には乗っているけれど、
普段ベンツに乗れない庶民にとっては確認しておきたい重大なことだ。
すると隊員の方は私の気持ちを察してくれたのか、
「ごめんね、右ハンドルなんだ。」
謝ってくれた。

そうこうしている間に救急車は病院に着き、
ベンツに乗って元気になったせいか入院することなく
通院だけで事なきを得た。

ベンツのご利益はまだ続く。
病院の先生がかっこよかったのだ!
誰でも人間弱くなっている時、
自分を助けてくれる人はかっこよく見えるものらしいが、

そんな友人の忠告も耳に入らずに1ヶ月楽しく病院へ通った。

その後、バイト先のケーキ屋にその先生は奥様とお子さんと現れ、
私は声もかけられずにひとときの恋は終わった。
ベンツの効力は無くなった。

※この怪我の1ヶ月間、フルートはもちろん、ピアノにも触れれなかった。※